死神少女・Sechs

これはサークル本「死神少女・Sechs」の一部を抜粋したものです。




「……アンジェラ……?」
 思わずその名前を呟いてしまう。
 静かな夜、その声はそれこそ予想を超えて大きく闇の中を広がっていった。
 少女が振り返り、大きく目を見開く。
 合わせ鏡だ、とハンスは思った。おそらく自分も似たような表情をしていることだろう。
「アンジェラ……なんでこんなところに……?」
 驚いた顔が崩れていく。
 ハンスは驚いたままだ。──いや、さらに驚きが上塗りされた。
 大粒の涙を流す少女を前に、少年はとても無力だった。
 無力なので動けなくて、抱き着いてくる少女を振り払うことも出来ず、自分の置かれた立場を鑑みると会ってはならない友人と会ってしまい。
 その友人の気持ちは友人以上の物だと理解しているので。
 ハンスは、暗闇の中、顔を歪めながらも、彼女をそっと抱きしめてしまった。
 彼女がここに居る理由なんてどうでも良かった。
 どうでも良くなってしまった──それよりも何よりも、緩やかに心安らいでいくほうが重要だった。
(人の体温って)
 少女の匂いを感じ取りながら、
(こんなにも、暖かいものだったんだ……)
「ハンス……私……私……!」
「アンジェラ……落ち着こう。俺も落ち着く、だから君も落ち着いてくれ」
「うっく……ぅ……」
 泣きじゃくった顔を持ち上げて、アンジェラはハンスを見た。綺麗な瞳に覗かれると、自分がとても汚く思えて、顔を背けたくなる。
「何があったんだ……どうして、こんなところに」
「私は……私は……神様に、人殺しを……人を殺すことを……願ってしまったの……」
「……殺す?」
 アンジェラの口からなんて物騒な言葉が出たのだろう。聖女のような少女が人の死を望むなんて、ハンスはにわかには信じられなかった。
 しかしかの本人がそう言っているのだ。
「詳しく、説明出来ないか。まったくわからない。俺で力になれるかどうか、いや、きっとなれないだろう。けど、話してくれないか」
 興味もあったが、それ以上に目の前の少女を放っておくことはできない。ハンスはアンジェラの肩を掴んで必死にそう頼んでみた。
 アンジェラの瞳は何かに脅えているようである。肩を掴んでみてから気付いたが、全身が震えている様子だった。
 ──彼女は明らかに恐怖を感じている。何に?
「神様に、誰かの死を願った、と言ったな?」
「うん……そうしたら……ああ……私は……! 本当に死んでしまうなんて! それに、願わなかったのに……どうしてリュンまで!」
(神が人を殺したッ?)
 衝撃を受ける。
 神は人を殺さない。神は──『彼女』は人の魂を狩る。いや、それは人殺しと変わらない。だが、誰かに頼まれて人の魂を狩るなんてことは絶対にしない。
 ──あの夜起きた出来事の記憶が、枯れたと思われた井戸から水が溢れてきたような衝撃と共に、僅かだが戻ってくる。鎌を持った少女と、そこに居た人間のうすらぼんやりとした顔。まだ鮮明じゃない部分こそあるが、これならば徐々に思い出してくるだろう。
 だからこそおかしい、とハンスは心の中で断言する。
(そう、しない筈だ……筈だ! 彼女は、彼女はただ死を望む人や助からない人の前に現れるんだ! 誰かに頼まれて殺す? そんな馬鹿なこと、あってたまるか!)
 誰かに頼まれて殺すなんていうのは、死神の役目ではない。彼女はあくまで望まれた存在だ。そういう風に仕組まれ、望まれ、作られ、そして願った通り本物として生まれ変わってしまった少女の筈だ。その正体は誰も知らず、そして人の身で知ることは出来ない。
 もし彼女の正体を知る時が来るならば、それはその人が死ぬ時だろう。
 ──ではどうして、自分はこうして生きているのか。


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