死神少女・Sieben

これはサークル本「死神少女・Sieben」の一部を抜粋したものです。




「お客が来てるの?」
 アンジェラがそう聞き返すと、まだ年若いメイドが緊張した面持ちで「はい」と返事をする。
「そう。どなた?」
 ここ最近はどうにも食欲もなく、学校も休みがちになっている。どうしても気力が湧いてこなくて、それは彼女の綺麗な顔へと如実に表れていた。薄く影の差した表情をメイドへ向けると、向けられた少女は少しだけ目を大きく開き、すぐに先程と同じ緊張した顔へと戻る。
「ロックランド神父です」
「神父様……ですか」
 アンジェラの頬が僅かに引きつった。嬉しいのか悲しいのか分からず、直後に思ったことは「会いたくない」だった。三日前、ハンスがこの家に来てから起こった一連の流れについていけず、さらには二人が重大な隠し事をしていたことに関してかなりの衝撃を受けている今、ホマーシュに会ったら何を口走ってしまうか分からない。
 彼は自分に神の奇跡を起こさせた。自分が彼の言うとおりに祈ってしまったら、確かに奇跡が起きた。それは望んだとおりの奇跡ではないが、しかしそれをさせた彼を前にして自分が平常心で居られる自信がまったくない。あの悪夢のような一夜もまたアンジェラの心を十分に変化させるに足る出来事であった。祈りで人を殺し、父とハンスは恐ろしいことに神の製造について語る。本当にここは悪夢の中ではないかと何度身体を震わせたことだろう。もし夢の中ならばさっさと目覚めて欲しい。
 部屋の窓からちらりと窓の外を覗く。ここからなら玄関の庭を一望できるので、ついホマーシュの姿を探してしまうと、結構あっさりと見つかった。印象強い大きなバッグを背負った黒塗りの神父が庭で母と会話をしている。
「あの……お嬢様?」
「なに?」
「その……せめてスープぐらいお召しになられても……」
 本来なら今の時間は学校へ登校していなければならないのだが、アンジェラはその気力もなくこうして部屋の隅で窓の外を眺めている。それだけではなく、食事もろくに取らない彼女をメイドは小心者ながら心配してくれていた。
「ありがとう。神父様を待たせるのも良くないわ。すぐに準備するから、手伝ってください」
「は、はい」
 自分ほどではないが、メイドも今のアンジェラを前にどうしても緊張してしまった。彼女はここに来てまだ日は浅いが、歳が比較的近い上に年下ということもあり、アンジェラも場合によっては他のメイド達より結構親しく話しかけている。あまり話しているとメイド達の中で確執が起こる可能性も重々ありえるので一応控え気味にではあるが、まるで屋敷の中で友達が出来たような気がして、それはそれで嬉しかった。
 しかし今はどうだろう。
 ちらりと部屋を見回して、それからメイドに目を遣る。
 今は――そんなメイドにすら、あまり顔を合わせたいとも思えなかった。

 先程見たときはあの神父が庭にいたこともあり、そこへと向かう途中、ちょうど玄関から入ってくるホマーシュと出会した。
「おはようございます、アンジェラさん」
 ホマーシュはいつもと変わらぬ笑顔でアンジェラに挨拶をしてくる。自分も同じように普段の挨拶が可能だろうかと心の中で訝しげに思いつつも、なんとか笑みを浮かべて挨拶を返した。
「今日はどのようなご用件で?」
「ええ、大事な用があるのです」
 てっきり学校へも行かない自分を叱りに来たのかと思いきや、どうやらそうではなさそうだった。
「ここでお話するのも何でしょう。お邪魔してもよろしいですか?」
「……はい、どうぞ」
 奥へ入れることを躊躇うが、今更追い返せもしない。
「大事な話ですので、奥様も是非ご一緒に。旦那様はもうお仕事へ?」
「そうですの。神父様から大事なお話だなんて、緊張しますわ」
 母は冗談めかしてそういうと、ホマーシュも笑みで答えた。
「ええ、とても大切なお話です。特にアンジェラさんの将来に関わることですので」
 ――その言葉に、何故かアンジェラは首筋が冷たくなった。
 応接間に通されたホマーシュは促されるままにソファーへと座り、アンジェラとその母もテーブルを挟んだ向こう側へ座る。
「それで、お話とはなんでしょう」
「まずはアンジェラさん、貴女が神の奇跡を起こせる身というのはご存知ですね?」
「神の奇跡? この子が?」
 真っ先に反応したのは母だったが、アンジェラはただ言葉を詰まらせただけだった。その奇跡とはまごうことなきあの悪夢のことを指しているからだ。
「神父様、それは一体?」
「彼女の祈りは大いなる主に通じるのです。この間のことですが、それが証明され、僕も大きな感銘を受けました。僕としては彼女の奇跡をもっと大勢の人に知ってもらい、希望の光となって欲しい」
「ま、待ってください。どういうことなんですか? なんでアンジェラが?」
「アンジェラさんが敬虔な信者なのは有名です。それに才能もある。これだけ町の人間に慕われ、聖女のような心の持ち主です。それがおそらくは奇跡を生み出したのでしょう。もちろん冗談ではありません。それは何より彼女自身がよく分かっている事ですから」
「そうなの、アンジェラ? 何があったの?」
「……私は、その……奇跡、なんか……」
「だが、祈りは天に通じました」
 その言葉が胸に突き刺さる。届いた祈りはあの虐殺を生み出した。そして何の罪もない少年の命すら、無常にも奪ってしまったのだ。それはすべて自分が祈ったせいであり、あの時祈らずにおればあんなことは起こらなかった。祈りは通じる。しかし、通じた結果は想像と異なる。
「もし心に一点の罪悪感、迷いがあるのなら、もう一度だけで構いません。僕に任せてはもらえないでしょうか」
「……ホマーシュ神父、けど、私はもう」
 祈りの通じる相手は神。
 その神こそ父が創り上げた存在ではないだろうか、と苟も聖職者として学徒の身である自分が疑ってしまうのはいけないことだと、心の中で小さく首を振る。冷静に考えれば大いなる神を降臨させることなど不可能なのだ。父とハンスは、神に見える『何か違うモノ』を神と呼んだに過ぎないのではなかろうか。
 だから、自分の祈る相手は本当の神であり、そして神への祈りは常に正しく自分ですら気付かない心の奥底にある願いを叶える。


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